shamrock 2 7月17日
  



shamrock HR

2000年 7月17日

行程 : アスローン → ゴールウェイ → イニシュモア島(ホースコーチ)

 17日の行程については珍しく、日本で2つの予約をしていた。ひとつはゴールウェイからイニシュモア島へのフェリー、もう一つはイニシュモア島でのB&Bだ。*

 とにかくこの旅行ではなんとしてもアランに行くと決めていた。アランに行けば都会暮らしの僕らが忘れていたものがあるんじゃないか、という妄想があったに違いない。
 アスローンのB&Bでたらふくのフル・アイリッシュ・ブレックファーストをとり、おかみさんにお礼を言ってから町を出た。ここのおかみさんはあまり人と話をしたがらなかった。

 アスローンからゴールウェイまでバスに乗り、そこからインフォメーションセンタ近くのフェリーチケットオフィスでチケットをもらう。30分ほど余った時間で簡単な昼食をとってから、今度はロサフィール行きのバスに乗る。しばしコネマラ独特の荒涼とした地形を楽しみ、いよいよフェリーに乗り込む。さすがにシーズンとあって、中は超満員だった。

 外は晴れ渡っているが、少し肌寒い。しかし海が綺麗で、しばし外の景色に見とれていると、まもなくアラン諸島最大の島、イニシュモア島が見えてきた。いよいよ待ちに待ったアランだ!

フェリーから見たイニシュモア島
 すわ上陸。あれだけ多くの人が、予約していたツアーバスやレンタサイクリング、あるいはB&Bへと向かって散り散りになる。気がつくと僕は人の波から取り残され、キルローナンの港で波をぼおっと眺めていた。
 さて、ここに来ればどうにかなると思ったが、今のところどうにもならない。今日はドゥン・エンガスに行ってみようと思ったが、距離感覚も掴めていない。とりあえず重い荷物をどうにかしなくてはいけないので、B&Bに行って荷物を置いてきた。

 わりと小綺麗なB&Bだったが、ここのおかみさんはアスローンの彼女に輪をかけて、人と接することを楽しまない。普通に観光産業に従事している気のいい女性って感じだった。たぶんこの島の旅行バブルに乗じて引っ越して来たんだろう。イニシュモアはゲールタハトだけど、ここのおかみさんは英語しかしゃべれなそうな感じだった。
 さてさて、B&Bから先何をどうしたもんだろう。まだ昼過ぎだし、馬に乗るか、サイクリングをしようかな、ということで近くの馬引きをあたってみる。
 「乗せてください」「駄目だね。」
 何でやねん。で、もう一軒。今度は控えめに
 「乗れますか?」「普段は3人以上からだからなんだが。」
 なるほど、だからさっき断られたのか。
 「でも2人分の料金でよければ乗せてあげるよ。」
 ふっかけられたが、まあここで価格交渉しても次に見つかる保証もないので、確か20ポンドで乗馬した。宿1泊分だったし、前日のフルデイツアー(18ポンド)よりも高かった。

 ということで乗り込んだホースコーチの運転手は、ゲールタハトに住む、普段はゲール語で生活している人だった。彼は馬やすれ違う同業者達と、ゲール語で何か話していた。

馬上から見たイニシュモアの風景
右隅は僕の中指 

あるアランの風景
 しばしホースコーチドライバーのおじさんと話しながらイニシュモアのメインストリートを進む。彼の英語は第2言語であるため聞き取りやすい。元は小さな牧場をやっていたが、観光化の波に乗じてホースコーチに切り替えたらしい。おそらく港の前に群がっていたデイツアーのワゴンガイド達も、ほかのホースコーチの運転手達も、みな元は漁師なり牧場主なりなんだろう。
近年のブームが、確実にアランの生活を変えていった。今建築中の家もしばし見受けられた。生活だけでなくアラン島自体が、一連のダイナミズムに巻き込まれている。

 それでも変わっていない風景もある。ヘッジに囲まれた緑少ない牧草地や、一面岩がむき出している荒涼とした丘。近代化する以前の彼らの生活がいかに過酷だったか、想像に難くない。

ドゥン・エンガスの崖
 ホースは写真を撮るためにたまに立ち止まる以外は、目的地であるドゥン・エンガスに向けてまっすぐ進む。目的地には1時間足らずで着いた。彼とは一端別れ、イニシュモア島最大の見所である古代の砦をめざし、緩やかな丘を登っていく。

 蜂の羽音を気にしながら、20分ほど岩畳みを登ると、人工的な砦が登場した。3層にも4層にもわたるドゥン・エンガスの、第1の砦のようだ。そこを抜けると、急に視界が開けてきた。その先には済みきった海と、激しい波しぶき、そして切り立った崖がそびえていた。

 多くの本で読んだ、ある意味予想通りの光景がそこに広がっていた。幸い風は強くなく、雨も降っていないため、崖付近まで寄れそうだった。崖にそろりと近づき、腰を下ろしてみる。荒々しい波が崖に打ち寄せるすごい光景が広がっていたが、高すぎて、逆にそれほど怖くなかった。左を見ると崖に腰掛け、本を見ながらリンゴを食する少年がいた。たぶん旅行者の一人だとは思うが、もし彼が近くの住民で、崖の上の読書が日課だとしたら、ちょっと面白い。

崖に腰掛け
リンゴを食べる少年
 そんなことを考えつつドゥン・エンガスの砦を一周する。誰が何の目的でこの砦を建て、そしていつ何が原因でその砦が滅んだのか、砦の半分を崩してしまった崖崩れが原因だったのか。今となっては当時を偲ばせる手がかりはただ石が積まれた砦の跡だけだ。

 そんな古代の足跡を背に、今来た道を戻る。麓には客の帰りを待っているコーチドライバーがずらり並んでいる。どの馬もぷくぷく太っていて、どこか寂しい光景ですらあった。

ドゥン・エンガスの石の壁

マイ・ホース
 行きと同じ、彼と彼の馬の運転で、ちょっとだけ違う道から帰る。見える景色はそう変わることはない。誰の土地か判らないような岩肌の土地が細かくヘッジで区切られていて、その中には取り立てて牛がいるわけでも、畑があるわけでもない、そんな土地の連続。それがまた何とも美しかった。明日はここをサイクリングしよう、そう心に決めた。まだ観光化されていないアランをもう少し見てみたかったから、自分であちこち行きたかったのだ。
 ちなみに夜はもちろんパブに出る。今回はパブの梯子をした。1件目のパブではゴールウェイから来た大工に声をかけられ、ちょこちょこ話をした。やはり今この島は建築ラッシュで、しばしばゴールウェイから家を建てにやってくるのだという。

 1件目のパブで気をよくして調子に乗って入った港近くのパブでは、隣にこれまたゴールウェイから来た男に話しかけられた。
 何故か彼らの反英感情の話になり、「俺は1916年の復活祭蜂起を忘れない!」という話に発展した。おまえ生まれてないじゃん、って思ったが、郷に入ったので郷に従おうと、何となく彼の話に歩調を合わせていた。
 そこでギネスをおごってもらいながら20分ほど話した中で今でも忘れられないのは、「僕はアイルランドの歴史には興味がある。日本の歴史は興味ないが。」という僕の言葉に、悲しそうに反論した彼の言葉だった。
 「なぜ祖国に興味がないのか。君は自分の両親や、その両親達の歴史をもっと知ろうとしろうとしなければ駄目だ。

 結構この言葉は重かった。今まで日本の歴史という言葉を、自分の両親や祖先の歴史、という言葉に置き換えたことはなかったからだ。そうか、そういう考え方もあるんだな、と妙に感心した。しかし私見では、自分の国の歴史に強い興味や誇りを持っている国(国民)はたいてい強い政治的イデオロギーや敵国を持っており、歴史が時に政治の道具になっているような気がする。
* フェリーの予約はIreland Ferries Teo. のHPで、B&Bは自力で予約しました。

shamrock HR

 戻る |  次へ |  途中退場