入学前日
  
〜 英語と牛とアイリッシュ



9月2日 入学前日の村歩き その1(午前)

 日曜。たっぷりの睡眠をとり、10時頃起床してダイニングに向かうと、既にダイニングには同じく留学のためにホームステイしているポーランド人シモンと、ホストマザーがいた。
 やっと会えたホストマザーは、年の頃は60近くになろうかという品の良い女性だった。シモンとは朝食を取りながら話をしたが、耳が慣れていないのと気負いとで、正直ほとんど聞き取れなかった。彼が同じ学生であることさえ、翌日になって初めて知ったほどだった。
 ホストマザーは前日は誰かの結婚パーティーか何かで遅くなり、2日は葬儀に出かけると言っていた。冠婚葬祭で日々忙しそうだ。実際アイリッシュは親戚や知り合いとの行事が非常に多いんじゃないだろうか。

 向こうでは朝食はいつも同じだったが、飽きたことは一度もなかった。
  1. カリカリに焼いた薄切りのトースト
  2. ソーダブレッド(1と好きな方を選ぶ)
  3. 紅茶
  4. シリアル(いつも出るが、たまにしか食べなかった)
  5. 1か2に塗るためのバター&マーマレード
 たまにソーダブレッドも食べたが、何と言ってもマーマレードの塗られたトーストが最高だった。昨年までB&Bで毎朝食べてた「フルアイリッシュ」も良いが、この薄切りトースト&マーマレードとたっぷりの紅茶の組み合わせも慣れると癖になる。
 日本に帰ってきて一番慣れないのは、食パンが概して分厚くやわらかいことだ。一回アイルランドのカリカリ薄々トーストに慣れると、日本のパンの「新食感」「中はふんわり」「もちもちした食感」ばかりに辟易する。だから今も僕は、できるだけ薄切りの食パンを、カリカリにして食べている。

 遅い朝食後、シモンに学校付近まで案内してもらった。車道しかない道を18分程歩くとやっと学校があるCorofinの村が見えてくる。そこからさらにメインストリート(ページ先頭の写真)を村の外れまで5分歩くと、やっと学校が見えてきた。
 実は本校は9月いっぱいでEnnisに移ってしまうため、この校舎も10月からは別の用途になるらしい。だからこの写真は当時の学校であって、今は違う用途で使用されていると思う。初めに見た学校の印象は、かわいらしくて小さいな、という程度だった。

 シモンと歩きながら、Corofinのことも少しずつ聞いた。村には学校、郵便局、教会の他には図書館と小さな博物館、だいたいの物が揃うスーパー1軒とファーストフード1軒、そしてPub数軒。やっぱりどんな土地でもPubだけは豊富なのが嬉しい。辛いのは、近くのPubまででも最低20分は歩くこと、そして夜になって判ったが、暗い上に車がすごいスピードで飛ばすので歩いていて非常に怖いことだ。

 シモンは村唯一の教会(8章参照)のミサに向かい、僕は独り村の周辺を散歩することにした。
 ぶらぶら呑気に見回しながら近くにあるという湖まで行ってみようなどと気楽に思っていたが、どうして、なかなか気楽に散歩させてくれない強敵が出現した。犬である。
 この村の人たちは、いや、一般的にアイルランドのカントリーサイドの人たちは皆そうなのかもしれないが、犬を放し飼う。しかもけっこうごっつい割には吠える犬が多い。彼らも警戒域に入らなければ吠えることもないのだろうが、運悪く、教会から湖(Loch Atedaun)までの唯一ルート(下の写真)上の、しかも必ず通過する歩道上に彼らの警戒域があったようである。
 
 彼らの視界に入るやいなや、2匹のでかい犬が僕の予想を上回るスピードで近づき、吠えたて、自分のテリトリーから僕を追い出そうとした。さんざん吠えたてられながら、ついでに牛の警戒域も犯したらしく牛にも吠え(?)たてられながら、押し出されるようにして湖にやっとたどり着いたときには、同じルート(上の写真)しかない帰り道のことがやたら気になっていた。

 しかししばし落ち着きを取り戻し改めて眺めてみると、やや薄暗い湖の色とやはり薄曇りの空の色が何とも言えないコントラストを描き、その間を縫い目のように覆う林と併せ、2日前までの現実世界だった東京の喧噪を忘れさせてくれる素晴らしい景色だった。

 −湖面を縫う風もやさしく、いかにも穏やかな日曜の昼という雰囲気−

 釣りをしているボートが2漕いた。あのボートは持参だろうか、いや、湖畔に1漕余っているところをみると、湖の管理者が貸し出しをしているのだろう。といってももちろん管理事務所なんてものは存在しない。管理なんて必要ないのかも・・・

 などと考えながらしばし湖をながめ気分も落ち着いた頃、釣り人たちが釣りから戻ってきた。2組と思われたグループは実際は1組で2台のボートを使っていた。彼らは僕に軽い挨拶をするとそそくさと車に乗り込んでいった。僕はよっぽど「犬が怖いんで通りに出るまで乗せてください。」と言おうと思ったが、彼らが地元のアイリッシュでは無さそうだったのと、何となく不自然な気がしたので諦め、彼らより一足先に湖をあとにした。もちろん牛と犬に吠えたてられたが、事前の覚悟があった分、あっけなく通り過ぎられた。


9月2日 入学前日の村歩き その2(午後)

 Pubで昼食を取った後は、何もすることがないので家に帰ることにして、村の境になっているなんともかわいらしい橋にしばし見とれた後、Ennis Road を家に向かった。と、向こうから見慣れた国籍の女性。こんな道を歩いているのは絶対にClare Language Centreの日本人留学生だと思い、彼女の”Hello!”の挨拶に敢えて「こんにちは!」と返してみた。

 驚いたことに、彼女からいきなり「もしかして、キヨ?」と聞かれた。

 なぜ僕の名を?? あれ、大学時代の同級生か??

 じゃなくて、どうやら既に翌週入学予定の生徒の情報があったようだ。結局立ち話も何だからと彼女と再び村に戻り、Pubでビールを飲みながら、アイルランドでの生活や、双方の入学動機について話した。
 日本語で会話しながら、「この会話がこの国最後の日本語での会話になるんだろうなあ。」と思っていた。そして実際、その通りだった。

 ホストマザー宅に戻ると、ホストファザーが出迎えてくれた。初めて会った彼の英語は、・・・全く聞き取れなかった。正直、最初ゲール語かと思ったぐらいだ。"Pardon?"と聞き返すと、その返答は何となく単語が聞こえてくる。が、意味がわからない。こっちの言いたいことは何とか通じるが、相手の返答が理解できない。
 これはこれから大変だ!と気をさらに引き締めることになった。

 夕方、ホストマザーに渡したお土産をシモンと2人で食べた。ホストマザー・ファザーには日本の煎餅と甘菓子は全く駄目だったらしかったので。アイルランドの食文化の差異というよりは年齢やその人の性格(食に対するチャレンジ精神?)によるところが大きい。ちなみにシモンは海苔煎餅を"Japanese Fish Cake!"と呼び、特異の表情を浮かべつつも味はいたく気に入っていた。海苔をFishと思ったことはなかったし、それがお菓子として扱われることに何のためらいもなかったが、ポーランドでは(もちろんアイルランドでも*)あり得ないことのようである。海草の調理法については国固有の文化に依存する要素が強い様だ。
 いずれにせよ、ホストマザー用に買っていったお土産は、全部僕やシモンやほかの留学生たちの腹の中に入ったのだった。

教訓:日本の食べ物は必ずしも喜ばれないので、お土産選びは慎重に。

*
もともとアイルランドは海草類を食べ物として扱う意識が低いということについては間違いないようだ。アイリッシュが海草好きならば19世紀半ばの大飢饉時ももう少し飢えをしのげたのではないか。といっても、全く食べないわけではないようで、カラギンという海草からデザートを作る話が「味見 ききみみ アイルランド」(東京書籍)に紹介されていた。


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