小旅行特集
〜 Part2. モハーの断崖編



9月6日 モハーの断崖(The Cliffs of Moher)

 6日(木)の学校のエクスカーションは、モハーの断崖だった。前述したがすでに3回目という人もいて、僕以外のみんなはまるでよく知っている公園に遊びに行くような感覚だったようだ。
 学校からあまり舗装されていない道を40分程揺られると、視界に太平洋が見えてきた。さらに5分ほど進んで、6人の生徒たちを乗せたワゴンは広い駐車場に停まった。アイルランドに来て初めての観光地らしい所だった。

 そこで先導の先生が子供をつれて登場し、8人となった僕らは運転手とDoolin*のふもとで落ち合う約束をした。Doolinってどのくらい遠いんだろう、と思っていると、断崖沿いに約6マイル歩けば着くという。当時すでに距離の感覚がずれ始めていたが、しかし6マイル(約10キロ)は遠い。しかもあとで判ったが、6マイルの間道らしい道はなかった。

 まずはモハーの断崖の正面玄関といおうか、最もメジャーな場所である、オブライエンタワー(左)近辺がスタート地点だった。オブライエンタワーは地元の名士コーネリアス・オブライエン氏が観光用にと建てた塔だそうで、土産物屋などが入っているのだが、一瞥しただけで通り過ぎた。
 また、この辺から下をのぞける場所があって、先生からのぞきたい人はいってらっしゃいと言われたため、真っ先に降りていった。200メートルの高さから真下をのぞいたが、ここまで高いと逆に感覚がなくなってしまい、正直ぴんと来なかった。ただ感覚麻痺のためか、真下をしばし見ているうち、下に引き込まれそうな感覚に陥った。

 オブライエンタワーから先は、普通のツアーでは味わえない体験をすることになる。モハーの断崖は南はHag's Head から北はDoolin付近まで続いているのだが、今回はタワーから北方向に歩く(前回のエクスカーションでは南に歩いたらしい)ということであった。しかし、実際そっち方向に道はない。いや、道らしいものはあるんだけれど、その入り口に「立ち入りを禁止する」という看板とともに鉄の柵がしてあり、有刺鉄線も巻いてあった。僕らはその"No Entry!!"と書かれた柵をくぐり抜け、いわゆる"Cow Path"へと入っていった。

 通常牛飼いが歩くための牧草地を、一行は左に断崖を臨みながらゆっくり歩いた。前日の雨のため、時折草原が沼地に変わっていて、道がなくなっているときもあった。また断崖沿いの道を歩いていたら先に道がなくなり、引き返さなければならない事もあった。また牛が他の土地に逃げ出さないように電気を通してある鉄線があって、それを飛び越えるために2mくらいジャンプしなくてはならない場所もあった。だからハイキングというよりは、アスレチックに近かった。また足元が不安であるだけでなく、一方で英語で会話するという緊張感も依然持続していた。

 しかし、一端足を止めて左右を見回すと、何ともいえない美しくかつ荘厳な風景に囲まれていることに気づく。今来た方向には依然として荘厳な崖がそびえ、進行方向には逆に崖がだんだんと低く穏やかになっていく様が見受けられた。途中休憩し再び崖をしばし眺めていると、鳥たちがいっぱい崖の中腹に巣を作っていることがわかった。ここで飛び降りると、鳥葬になってしまい死体がなかなか回収できないという話を聞いた。厳しい自然の中で、鳥たちはたくましく生きている。

 しばらくすると崖からやや陸側にそれ、野生のブラックベリーがたくさん生っている草原に変わった。ブラックベリーをつまみ食いしながら歩き、スタートから3時間後、やっと一行は待ち合わせ場所に到着した。僕らと同行した先生の娘さん(4歳だったと思う)は3時間ずっとはしゃぎ、走り回り続けていた。つくづく子供は元気だ。

 後日談だが、僕らがオブライエンタワー付近で崖の下を見ていた直後、アイリッシュ女性が崖から飛び降り自殺したというニュースを聞いた。なんでも隣にいる観光客に自分の車のキーを渡し、そのまま崖から飛び込んだらしい。どんなに明るい場所にも暗い影は必ず存在する。鳥たちには思わぬご馳走だったんだろうか。
* Doolinはクレア州の港町で、知る人ぞ知る伝統音楽の町(マイコー・ラッセルを育んだ町)だったが、伝統音楽が有名になりすぎたためにすっかり観光化されているらしい。ディビッド・A・ウィルソンは著書で「この場所はみずからの成功に犠牲になってしまった」と書いている。そのほか日本人にはアラン諸島へのフェリーサービスがある町として有名である。



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